ボート部復活を祈念「札南ボートの集まり」
 小関隆一(南22期) 記

集合写真

 平成16年11月2日(火)18時30分、札幌南高校ボート部の関係者14名が西新橋の「北海道」に集合しました。
 札幌南高校ボート部の歴史はおそらく太平洋戦争前の札幌第一中学校時代まで遡ります。昭和7年に札幌漕艇協会が設立され、この年のレースに札一中が出漕している記録があります。戦争中の中断を経て、戦後まもなくの昭和21年には第一回の国民体育大会が行われ漕艇競技も復活していますから、同時期には部として復活または新生したと思われます。昭和24年の一高新聞(学校新聞)の記事に小樽港で行われた道大会決勝で小樽高校に三艇身の差で敗れて二位になったこと等の記載があります。
 全盛を迎えたのは昭和30年代で、主な戦績は以下のとおりです。

 昭和30年 第10回国民体育大会 準優勝 (於神奈川県相模湖)
       [高山・高橋・堅田・石原・大萱生・佐藤・佐々木・鈴木・遠山]
 昭和31年 第4回全日本高校選手権大会 第三位 (於滋賀県琵琶湖)
       [中谷・高橋・名畑・寺江・堀内・大久保・床鍋・斉藤・長谷川]
 昭和31年 第11回国民体育大会 第四位 (於兵庫県相生)
 昭和33年 第6回全日本高校選手権大会 第三位 (於愛知県豊田市)
       [大橋(池田)・大川・阿部(紀)・山口・堀内・阿部(肇)
        杉岡・五十嵐・斉藤]
 昭和33年 第13回国民体育大会 準優勝 (於滋賀県琵琶湖)
 昭和35年 第8回全日本高校選手権大会 出漕 (於鳥取県米子)
 昭和37年 第10回全日本高校選手権大会 第四位 (開催場所未調査)
 昭和38年 第11回全日本高校選手権大会 出漕 (於新潟県佐渡)
 昭和39年 第12回全日本高校選手権大会 出漕 (於岐阜県恵那峡)

 この間(昭和30年代)の道大会に於いては北海道選手権競漕(兼国体道予選)と北海道高等学校漕艇競技大会(兼インターハイ道予選)を合わせて6回の優勝と5回の準優勝を数えます。
 昭和40年代の中盤から50年代の初めにかけては、いわば低迷期で部の存続すら危ぶまれた年が何度かありました。
 その後昭和50年代の中盤になって一時期古豪復活の兆しを見せます。昭和53年には北海道高等学校漕艇競技大会(兼インターハイ道予選)で準優勝、次いで昭和57年の北海道選手権競漕(兼国体道予選)で優勝し島根国体の代表となっています。[鈴木(誠)・青山・石井・森岡・鈴木(龍)]
 先生で一番長く指導に当られたのが武川克三先生(愛称ジェック)です。国語の先生で漢詩の五言絶句を四国訛りで「ゴゴンジェック」と発音するのでこのあだ名となりました。一中時代の昭和16年から20年までと一高時代の昭和24年から南高となって昭和45年3月までの長きに亘ってわが母校の教職にあられました。ジェック先生の後は寺井孜先生・本多元先生が引き継がれ、昭和50年代に入ってからは岸田光生先生が指導に当たられました。
 赤い大きな茨戸の夕日、手稲連峰、原始林、ポプラ並木、??牧場、ドンジリまで一本、石狩遠漕、合宿の日の朝靄、グリースの匂い、この茨戸の風景が幾多のクルーを記憶にとどめてきました。
 戦後まもなくから数えても40年近い歴史と伝統を持つ札南ボート部ですが、今は母校にボート部はありません。昭和59年の新入部員あたりを最後に休部になったようです。昭和63年には協会の加盟団体名簿からも名前が消えて、今日に至るまで復活していません。

 この日(11月2日)の「札南ボートの集まり」にリストアップしたOBは100余名、案内を送付した方60名、出欠に関わらず返信があり所在が確認できた方26名、新たに氏名が判った方または所在が判った方14名、出席者は14名、以下の通りです。
   ・南8期(S33卒) 大久保尚武
   ・南10期(S35卒) 阿部 肇
   ・南15期(S40卒) 川村 徹
   ・南19期(S44卒) 丸山充人
   ・南19期(S44卒) 廣田正行
   ・南20期(S45卒) 従二和彦
   ・南22期(S47卒) 小関隆一
   ・南23期(S48卒) 金森 修
   ・南25期(S50卒) 山岸昭人
   ・南29期(S54卒) 町田 裕
   ・南29期(S54卒) 大久保光敏
   ・南29期(S54卒) 丸山 潔
   ・南29期(S54卒) 渡辺 治
   ・南31期(S56卒) 有村英明
 夜半、母校のボート部復活を祈念して散会となりました。

 今回の「札南ボートの集まり」の火付け役となったのは、大久保尚武東京六華同窓会長(現日本ボート協会会長)と南31期の有村英明さんです。数十年ぶりの邂逅となった方もいらっしゃいました。お二人に深く感謝をする次第です。
 文中の名前について敬称を略させていただきました。また、資料不足・調査不足もあって間違いも多々あるかもしれません。現状業務多忙を理由にご容赦をいただくと同時にボート部のことについて知り得ることがあれば一報いただければ幸いです。 (文責 南22期 小関隆一)

 

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